2019.12.23(月)
- 供養
百か日法要について
百か日(ひゃっかにち)法要とは仏式で葬儀をした場合、初七日~七七日(49日)で忌明けを迎えた後にある、亡くなってから百日目にする法要のことです。
元々は儒教の教え・考え方に基づいているようです。
儒教では「士(男子、特にすでに独立している男性)は三か月で哀切極まる慟哭を卒業する」という考え方があります。
そこから百か日(忌)法要を卒哭忌(そっこくき)とも言います。
『~慟哭を卒業する』の慟哭の哭と卒業の卒で卒哭忌。
『慟哭』というと私くらいの世代では工藤静香さんが浮かびますが、
『慟哭』には『悲しみのあまり、声をあげて泣くこと。』という意味があり、
『卒』には『終わる』という意味(訓読み)があります。
この百か日法要(卒哭忌)で泣くのを終わりなさいよ。といった意味の法要です。
正直な話、この葬儀業界に入って数年は49日(満中陰/忌明け)法要以降もそんなに法要って必要なの?と思っていました(今考えると無知で恥ずかしい話です)
只、あるご住職がこの百か日法要のお話をされたことがあり、『卒哭忌』の上記の説明と共に、「その法要で悲しむことを終わりにして日常に戻り前を向いて進むことも供養ですよ」とおっしゃられたのが大変印象に残り、それ以降もしお客様に「百か日法要ってやらないといけない?」と聞かれると『卒哭』の意味と共にご住職の言葉をお借りして説明するようになりました。
葬儀やその後の法要にはそれぞれ意味があり供養の在り方としては、亡くなった方の為も有れば生きている私たちの為にあるようなこともあります。
最近は何事でも省略や簡素にしたがる傾向にあるようですが、
結婚式(披露宴)をする意味・葬儀をする意味・法要をする意味を考えていくと、
安易に省略や簡素化することによる弊害も出てきているのでは?
と問題提起のような終わり方で今回のコラムを締めさせて頂きます。
葬儀・法要の意味や簡素化にすることによる弊害、
考えるならば事前相談しましょう
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