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コラム

2021.02.04(木)

  • 供養
  • 葬儀

葬儀になぜ菊の花が使われるのか?

先日このコラムのネタに困っていた時に

弊社の事務員さんに「何かない?」と問いかけた所

『葬送の花は、なぜ菊なんですか?』

と聞かれたのでそれに対する答えを今回の内容にしていきます。

 

 

なぜ菊の花が使用されるのか?

 

正直この業界に入って15年程経ちますが、考えたこともなかった

というのが正直な話でした。

 

その答えを調べるべく、まずはGoogle先生を頼りにしました。

 

検索した中でいくつか共通する答えが数点あったので書いていきます。

 

 

・菊の花の香りが、お香に似ているという説

・皇室の紋章が菊なので、格調高いとする説

・菊の花ことばが「格調高い」であるという説

・「懐かしき遺影のほほえみきくあかり」という有名な句からきているという説

・白菊を神式の献花に使用していた地方から広まったという説

・フランスでは祭壇に菊を飾る文化があったために日本でも広まったという説

 

などといったことがいくつかのサイトに出てきました。

どのサイトにも共通することが2点あり

 

1点目は、『諸説あります(が)』といった逃げ文句が書いてある事

 

2点目は、『出典がはっきりしていない』という事

 

1点目は葬儀に関することは、地方の風習等の関係で『諸説ある』という文句は多いので仕方がないとして、

2点目『出典がはっきりしていない』というのは、何かしらのデータや引用した書物の名前等が何もない(ネット上では仕方がないですけど)何か上記の説を見てもしっくりこないと言うか、それっぽいだけで信ぴょう性に欠けるように感じました。

(ネット上のデマを聞いている感じを受けました)

 

 

では、次に葬儀屋さんのバイブル 碑文谷 創先生の『四訂 葬儀概論』”を葬祭ディレクター試験以来の久しぶりに開きました。

花に関する事を調べていきます。

 

『花』  「ネアンデルタール人の・・・」

その時代からお花を手向けていたんですね

 

『供花』 「全国的には花輪または生花、中部・関西地方などでは花輪の代わりに樒(しきみ/しきび)が用いられます。」

最近花輪を見ることが少なくなりましたね。

 

 

『献花』 「献花に用いる生花には、白菊や白のカーネーションなどが多いですが、これも決まっていません。・・・」

あっ、白菊って言葉が出てきた⤴

ん?決まっていない?

確かに、どのお花でも問題ないですね。

 

『葬儀概論』としては、『葬儀になぜ菊の花を使うのか?』という質問に対する答えはありませんでした。

 

 

じゃあ、最初にネット検索で出てきた出典がはっきりしていない内容のものを調べていきます。

 

・菊の花の香りが、お香に似ているという説

⇒菊の香りは樟脳の香りの「カンファー」や、墨をすったときに感じられる香り「ボルネオール」と呼ばれる特徴的な成分によって構成されていること、菊とお線香の香りが良く合うことも理由のひとつではないか?という花屋さんの説

・皇室の紋章が菊なので、格調高いとする説

⇒格調高い物(貴重な物)をお供えするというのはよくわかる話ですが、まず、菊は奈良時代後期から平安時代の初め頃に日本に伝わってきましたいわゆる外来種です。そして、皇室の紋が『菊紋』になっていった大本は後鳥羽上皇が自作の刀に菊の銘を付け、「上皇が作ったものである」という証明にしました。

こうした事例が皇室において、菊の紋が使用された始まりとなっています。

菊を用いたのは、上皇が菊の姿や形を大変に好んでいたからだとされています。

とありますが、菊を供える理由には薄い気がします。
(後鳥羽上皇の時代である1183年に始まり、その後の天皇らも菊の紋を継承し、1869年には公式に皇室の紋として定められています)

 

・菊の花ことばが「格調高い」であるという説
⇒菊の花言葉を調べてみると、『高貴』・『高尚』・『高潔』とあり、色によっても違うようですが白菊でいうと『真実』・『誠実』・『旅立ち』というようです。

そこから葬儀の花が・・・と言いたいところですが、この花言葉も元は菊が皇室の紋に定められている関係であり元をたどると皇室が使用しているからになりそうですので、これが理由とは言い難いと思います。

 


・「懐かしき遺影のほほえみきくあかり」という有名な句からきているという説
⇒ネット上では有名な句として出てきますが、誰の句というのは出てきません・・・

しかも、有名な句と説明されている割に、菊の花が葬儀に使用されている理由で出てくる以外は、とある旅館の箸袋に書いてあるとの記事くらいでした。

但し、句の中に出てくる遺影ですが遺影写真という意味で有れば昭和初期から遺影写真が登場しているようです。それ以前では掛(か)真(しん)の儀式といって故人の肖像画を須弥壇の上に飾るということがあったようです。(葬儀概論より)ということはそんなに昔の句ではないだろうと考えられます。

しかし、ネット検索をして作者も元の句の初出も出てこないような句が理由になりうるとは考えにくいと思います。

 


・白菊を神式の献花に使用していた地方から広まったという説
⇒これに関してはそれらしい話が出てきません。もしこの説が有力であるならば、葬儀概論に載せられていると考えられるので可能性は少ないかと思われます。

(京都の愛宕神社では、白菊ではないが樒を神社の御札と一緒に授与されるということもあるので、白菊を使う地方がある可能性があることは否定できない)

 


・フランスでは祭壇に菊を飾る文化があったために日本でも広まったという説

⇒フランスで広まったという点に関しては、フランスに菊を供える風習があるとする資料はあったが、それが日本に伝播したとするものは見つからなかった。

https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000046939

 

と長々と書いてみたが、なぜ菊の花が使われるようになったのかを明確に示す資料、又納得できる説というものは出てこなかった。

 

 

・ネット上で、電照菊の登場が菊を安価に年中流通できるからといった説もあったが、電照菊は昭和12年愛知県豊橋市で栽培が始まったとされている。葬儀に菊が何時から使われているか定かではないが、もし明治以降からというならばこの説は時代的に合わないと考えられる、しかし菊の使用が戦後からというならば流通経路にのり安価で年中手に入りやすい菊を葬儀社等が使用するようになった可能性は高いかと思われる。

 

以上のことから葬儀社の人間目線で言ってしまうと、

・フランスに菊を供える風習がある

・電照菊の登場が菊を安価に年中流通できる

この2点、もしくは菊が利用しやすい環境で上記にあげた諸説が合わさることにより、説得力を持たせた商品として

葬儀の花 = 菊 という売り出し方をしたのではないかと考えてしまいます。

 

但し、もしこの説が正しいならば、老舗葬儀社の○◯が何年頃始めた等の記述が葬儀概論に出てくると思うので、私の思い付きであり、新しいネット上のデマ程度の話になってしまったかと反省します。

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